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ブリコラージュ——「らしさ」のつくりかた

Date : 2011.10.08 permalink

建築や携帯電話、インターネットなどの分野に限らなくても昨今の技術の進化はめまぐるしい。それが生活に関与するものかどうかに係らず。40年ほど前まではそのような状態を無邪気に喜べるような幸せな関係であったようだけど、最近はなんだか窮屈に感じることも多くなったように思うし、ちょっと矛盾気味だけど、以前と変わっていること自体、当たり前のことのようになってきている。
その中でも、稀ではあるけれど、本当に面白いと思うものにも出会うこともある。でも僕のその感情は技術の進歩とは関係がないように思っている。むしろ先端技術を見せびらかすようなものを退屈に感じてもいる。新しいのが良いとか古いのが良いとか、どうもそんな単純な話ではないように思っていて、生活やら身体性といった言葉を良く使うのだけれども、そもそもそれらはどうのように組立てたものなのかというところに僕は興味がある。

タイトルにある「ブリコラージュ」とは、レヴィ=ストロースが提唱した概念で、すぐ手元にあるものでものを作る器用仕事と説明される。例えば、よくブリコラージュの説明で使われる小枝などで作られる鳥の巣は、鳥にとって身近な素材である木の枝などを集めて作ったものである。このような素材の扱い方や技術の話は、動植物については明解に説明が付くけれど、「人について」話をすると途端にややこしくなってしまう。まず「すぐ手元にある素材」というのがなかなか厄介だ。現在の流通社会からすると木の枝なんて手に入りにくく、むしろ鉄骨やプラスティックの方が入手しやすかったりするし、website上の文字や画像などはコンピュータ上ですぐにでも生産可能だったりするから。ブリコラージュの素材の扱い方、本来の目的と違う使い方をすること、とは違うと思うかも知れない。でもコンピュータや鉄骨の本来の目的って?それらを生み出した経緯は知らないが、僕たちにとっては既にただそこにあるもので、木の枝とあまり変わらないものなんじゃないかと思っている。とすると、これらの中にも「すぐ手元にある素材」として扱えるものがあることを前提にしないと、ブリコラージュの現代的な意味はなかなか量れないように思う。
小鳥にとっては巣作りに利用する小枝は、慣れ親しんだ素材である。それをどのように組み合わせると巣となるのかは把握しているはずだ。弾性や限界耐力、節、形状などの全体の特徴を長所短所とも、理論的にではなく感覚的に感じ取っているだろう。昨今は洗濯干し場のハンガーなどでも鳥の巣が作られるようだけれども、ハンガーも小枝と同じように「すぐ手元にある素材」であるのであれば、ハンガーは小枝に似た素材というよりは鳥にとってはハンガーも把握しうる素材と言った方が正確かもしれない。「すぐ手元にある」とは、物理的な距離ではなく、こういった「把握しうる/特徴を全て感じ取れる」ということではないだろうか。それはその生命体にとって身体の一部として扱える素材と言って良いと思う。
それらの素材をどう組立てるのかが技術なんだろうけど、その技術も情報社会においては理論的な技術はもちろん、口伝の技術もどこそこに存在している。技術も保守性というよりは、その技術が生み出すものがどのような特性を持つのか、またその技術自体の特性を把握すること、感覚的に理解し、それを操作・活用することがブリコラージュ的手法だと思う。

流通社会ではすぐ手元が拡大し、情報社会では技術の革新性も一瞬のうちに消失するような状況を考えると、ブリコラージュとは全ての事がらを自分の力で把握できるもの、つまり身体的な感覚を持てるものを身体的な感覚をもって組み合わせていくことなんだと思う。手の中のものを手の中でこねくり回して組立てる作業というか。設計作業で行われるスタディやエスキスなどは、そのプロジェクトの要件などの身体化を図る作業と考えられないだろうか。まず組み合わせる素材、組み合わる技術を把握することから始めて、やっとそれを使いこなして適切に応用することができるはずだ。わけの分からないことに挑戦する先端技術を否定するわけではないけれど、それは身体を無視した創造だと思う。ただ新しいだけ、ただ作っただけの、感覚というか意志の欠如したものは面白くない。例え、それが身体性を獲得しようとする方向だとしても。

創造において、その人の「らしさ」を創出するには、そのプロジェクトに係る要件を逐一身体化していくことが必要ではないだろうか。そしてその要件、素材や組立て方を全て了解したときにやっとその人の身体的な感覚を伴うものを生み出すことができる。僕はそれがブリコラージュ的創造であって、身体性を獲得したデザインだと思う。そのデザイナーの身体として組み合わされたものは、やはりそのデザイナーの身体的な感覚で組立てられた、その人独自のものになっているはずだ。僕は、そこにこそその人の「らしさ」を感じるし、それを感じないものはひどく退屈なものに感じてしまう。
技術はどうしても進化し続けるもので新しい技術も結構だけど、その長所も短所も把握し特徴を捉えた上で「どう扱うか」を問題にしなければ生活に係れるものは創造できないだろうし、その人「らしさ」も生み出せないように思う。そしてその「らしさ」のみがこの消費社会で唯一特徴を持ち得て、意味のあることのようにも思う。
(2006.09.04の文章に加筆・修正)


家紋の右前

Date : 2011.07.08 permalink

IMG: 家紋の右前形にまで礼儀作法が整っている日本の文化の繊細さには、たびたび驚かされます。その一つが右前です。日本では右側が手前になる形を伝統的に吉とされています。着物や祝袋の右前(みぎまえ)を思い起こしていただくと良いのですが、逆の形は不祝儀とされる左前とされていたり、これらは作法として定着しています。ところが家紋の中には凶とされる左前に見えるものが多いのを不思議に思っていました。以前に家紋研究家の方に伺ってみたのですが、はっきりとした論は示して頂けなかったものの、興味深い話を教えて頂きました。その方によると「右前は、右が手前という意味ではなく、右が先の意である」ということでした。

右前が吉であるというのは、平安時代の宮中の着物の作法から始まったとされています。理由は手の置き方など諸説ありますが、弓が引けないように着物を着るというのも理由の一つのようです。右前に着ると、弓を引き放つ際に着物の上前の部分に弓の弦が引っ掛かってしまいます。現代の弓道でも、肌脱ぎと呼ばれる所作で、左肩を露出させてから弓を引きます。騎乗で弓を引く騎馬民族は日本と逆に左前で着物を着ています。右前は宮中で弓を引くことがないようにする作法だったのかも知れません。ともかくは、平安時代の宮中から着物は右前で着る習慣が出来上がったと考えられています。
着物を右前に着るのが礼儀であったなら、その着る方法を人や自分の子に教える際に「右側を先に持ってくる」と伝えていたでしょう。「人から見て、右側が手前になるように」と言うより「右側が先に」と伝える方が分かり易いからです。右前の「前(まえ)」は、「その前に行う」「その後で行う」などの時間軸を指すものだと捉える方が自然だと思います。
また、日本の思想の根源には「草木国土悉皆成仏」があります。全ての物に仏が宿るという意です。少し乱暴な言い方ですが「人のためだけに存在しているものはない」とも言えます。着物や祝袋にも確固たる独立した魂が宿っている主体なのですから、それ自身の吉の形があるはずです。「他の人から見て‥‥」という前提自体が「草木国土悉皆成仏」の思想に反するものですから、「右前は右を先に」という解釈で間違っていないと僕は考えています。

このように右前を「右が先」と解釈すると、疑問だった家紋の形も違った見方ができるようになります。左前に見えた家紋は、実は「右を先に」描いた右前の形のように解釈し直すことができます。もちろん「草木国土悉皆成仏」の思想下では、その主体が人からどう見られるかより、その主体がどう成り立っているかを軸に捉えるべきです。家紋も仏が宿っている主体ですから「家紋自身の右側」を先に描く形になっています。家紋は飽くまで絵として、先に描くとその部分が先に仕上がって、後で描く部分は後に重なった形で描かれる、そのように見ることも出来ます。
僕にとっては、家紋の右前の謎に答えてくれる解釈ですが、どうでしょうか。

                      *

追記:
家紋研究家の方と、この件についてお話させて頂きました。改めて古い紋帖を調べて頂き、江戸時代の紋帖では重ね方が見た目で「右前」になっているとご指摘頂きました。二つの異なる紋が横に並ぶ比翼紋に、この重ね方の起源が見えるそうです。家紋研究家の方も「調べて始めて確信を得た」と仰って、大いに盛り上がってお話して頂きました。
手元にある数冊の紋帖では見た目で「左前」が多かったのですが、これは僕の調査不足による勇み足だったようです。明治から昭和の出版物には混乱も多く、そのまま現在まで混在し、どちらが正しいとも言えない状態になっているそうです。しかしこの件で紋は、絵としてではなく、奥行きを持った空間を描いたものだったようです。
なお、自戒を込めて、この文章は残しておきます。


刺激を頂いた言葉

Date : 2011.07.03 permalink

少し前に仕事上の先輩でありクライアントになって頂いている方とお会いしていました。デザインの考え方などにも面白いやり取りがあったものの仕事の話もそこそこにし、人生の歩み方や姿勢についてお話頂き、大変に刺激になったのでメモ。

・とにかく誠実に。
・目の前のことに全力を傾ける。
・名刺はしっかり持つ。

当たり前のことなんだけど、これらは突き通しておきたいと気持ち新たに思いました。仕事に対して誠実なのはもちろん、常に意識していたけれど、社会に対して誠実であろうとするのはなかなか難しい。ある意味、クライアントに対して誠実であることは楽なのかも知れない。今まで社会に対して誠実であれただろうか、と反省を踏まえながら今までを振り返ってみる良いきっかけを頂きました。