WRITING 2020.01.08


統合デザイン

“デザイン”の条件や効果といった周辺を考える。図面(などの形を示す指示)を式 f(x) と置き換えて、その微分と積分について考えることで整理できないかと思いついたこと。これは、おそらく僕が伝統工芸分野という手を動かして作っている、本当に泥臭い現場の脇に立っていたから、逆によく見えた景色なのかもしれない。

その図面である“式”を成立させるための条件や具体的な製造法などを「式 f(x) の微分」、つまり具体的に描かれる f(x) 各部位の角度 ∇φ と捉える。返って、その式によって生まれる空間的・社会的・文化的・経済的な効果を、 「式 f(x) の積分」つまりその式が描き出す面積 ∮f(x) と捉える。式 f(x) =図面を描くとは、それぞれの角度を持つ各部位を繋げてひとつの曲線を描くこと、なおかつその式が最大の面積を囲うように描く。やっていることは f(x) を描くことだが、実現のための具体的な角度となる実践を積み重ねて描き、さらにそれらを統合して目指す理念がその面積、というわけだ。
つまり木工を設計する上で、手配できる木の種類、穴を開ける工具、面取りをするルーターの形状など、具体的に何ができるかという実践的な部分が微分、その作ったものがどのような効果を空間的・社会的・文化的・経済的な要点で得られるかを考える理念的な部分が積分。各部位の角度を考えないで描く f(x) は机上の空論になるし、効果を考えず作れるものしか考えない f(x) は単に作っただけの仕事になるだろう。作れないものを夢想する実践が伴わない理念は意味が軽く、作っても物体以上の価値が生まれない理念なき実践も価値が薄い。
木工において木工らしからぬ形態を生み出すことを、なにも悪としているのではない。木工らしからぬ形態を作った際の効果はそれを作る木工所のコストとリスクに見合うものかどうかを問題にするべきだ。2次元のデザインでも、印刷所ができる範囲、やりやすい範囲などがあり、そこから外れた提案をする場合、「できる/できない」ではなくコストに見合う効果が得られるかどうかを考えることを常に意識的に行える人は少ないのではないだろうか。情報社会で新技術や新素材は一瞬で消費される。隣ができるならこちらもできて当たり前のように捉えられ、コストに見合わない仕様や指示が多く飛び交うようになりがちだと感じている。
デザインにおける創作活動とは、基本的には図面またはそれに変わる図式などを描くことしかできないけれど、その図面には目的と効果という社会的影響が盛り込まれており、そして具体的に実行する技術や価格という製造に関わる要因も当然に考慮されていなければならない。それぞれ理念と実践、CONCEPTION / PRAXISと呼ばれる範囲になると思うが、簡単に言い換えると「目指すこと」と「できること」となるだろうか。それぞれ異なる2つの次元を結び付ける媒体となり、方法を示すものが図面であり、そしてそれを統合的に構想し具体的な形を描くことがデザイナーの役割だと考える。

特に具体的構築物を立ち上げ社会的意義を提案する「建築」はこのことが強く認識されている。建築家の描く式 f(x) (つまり図面)は条件にあった実現可能なことの蓄積で描かれ、かつその図面が生み出す建築は空間的・社会的・文化的・経済的な視座を伴うものである(少なくとも「建築家」が描く図面はそうであって欲しいと願っている)。もちろん描くものは式 f(x) であるのだけれど、その微分と積分を常に念頭におきながら描く。微分を積み重ねて描いた式の積分が最大の面積を生み出すように、「できること」「つくる形」「目指すもの」の三つの次元を自由に行き来するような統合的構想が建築家には求められている。
建築設計を行う方なら、この話は強弱はあるものの「ごく当たり前のこと」だと捉えるだろう。建築家は作りたい空間を考えるが、それは法規に則った素材と構法で組み立てなければ建てられない。無理をするとコストが上がりさらに品質が悪くなる。当然である。しかし、多くの分野でデザインに関わってきた僕の経験では、どうも他分野では当たり前のことではない、もしくはそれほど意識されていないように感じている。建築ほど実践的なことが求められていなかったり、曲がりなりにも無理が効くまたは小さなものだと無理矢理にでも形にできてしまう。多くの分野では基本的に作り方やもの構成方法とそこに内在する理念の連結はあまり考えられておらず、微分または積分しか興味がないという人が多いと感じることも少なくない。
例えば「勝ち負け」という建築の大学に入ると1回生で教えられるような概念すら建築の業界用語である。この言葉が木工や工芸などの他のあらゆる分野で、まず通じないことに驚いた記憶がある。その意味は、モノとモノが接合または連節する箇所で、どちらのモノを優先するかという物理的および理念的に捉えて判断することである。「勝ち負け」は、理念と実現の両者のために、それらを統合した思考を求められる、統合的思考の象徴のような概念だと思う。
もうひとつの例として、古代ギリシャ建築のオーダーをあげたい。オーダーは柱とエンタブラチュアの組み合わせの形式であるが、その比率は厳密に構成されている。要は神殿などの建築の要素をどのような形に作るのかを具体的かつ実践的に示すものであるが、同時にそのように要素を構成すると建築が成立するという、まさに微分から積分まで一貫して繋げられたシステムだと考えている。
現代は古代より少し状況が複雑になるだろうが、微分を積み重ねて f(x) を描き、その f(x) の積分となる効果を求めるという原則は変わらない。ここを理念と実践の継ぎ目なく、一体的に捉えて考えることが、ひょっとすると建築的思考と呼ばれるものではないかと考えている。

僕は建築業界を離れて主に伝統工芸という分野でデザイン活動をしているけれども、どうやら僕は会得してきたデザインにおける思考法、建築のデザイン手法をそのまま実行していたらしい。最近までは無意識だったが、この2つの次元を眺めつつそれらを繋げる式を描くことを意識して提案することは続けていたようだ。
そして、僕はこの2つの視点を同時に成立させる f(x) を描くことを建築的とは呼ばずに、改めて“統合デザイン”と呼びたいと思っている。“統合デザイン”とはグラフィックとプロダクトデザインを一緒に行うことや、アートディレクションとデザインをひと続きで行うことではなく、 f(x) を描く上で ∇φ を繋げ、最大限の ∮f(x) を生み出すためのシームレスな思考だと考えておきたい。