何年か前に「家紋」を卒業設計のテーマにしたいと、ある学生からアドバイスを求められて返答しました。演出性について考えていましたが、今読み返しても「まあ、そうだよな」と思えたので、内容からの抜粋を修正して掲載しています。
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もうお調べかと思いますが、家紋は平安貴族が牛車に付けて見た目で区別するための「家のしるし」を起源とし、武家に取り入れられ、各家が趣味趣向を凝らした固定の「紋」が伝わっている、とされています。公家・武家はともかく、庶民まで普及したのは江戸時代、だいたいの家がなんとなく決めておられます。中には、紋と出身地から「滋賀で四つ目なら、ご先祖は佐々木村の出身ですね」みたいなこともあります(地域紋)。これに「女紋」も加わります。(※女性は「家紋」は付けられず、「女紋」という家紋とは別の紋を付けた、ことも多い) かなり多種多様で、地域性や文化性などもあり、ぶっちゃけたところ良く分かりません。
はっきり言うと「昔から庶民はけっこう自由に楽しんでた」です。諸説ありますが、日本の苗字は30万種、家紋は20万種あるとされています。家紋関係者のバイブルになっている「平安紋鑑」ですら掲載は4,000種で、その50倍あるとされているわけです。
つまり何が言いたいかというと、ある時期に「家のしるし」から「演出」になったと捉えるべきでしょう。意味や守るべきものではなく、自分にふさわしい紋を考え考案し、それを身につけても良いわけです。それが子孫が継いでも継がなくても、「その人の演出性=自己実現性」に繋がるのであればなんでも良い、と考えています。極めて現代的な考え方に見えますが、実情は江戸時代から徐々に「演出」になりつつあった、と考えています。自由にコロコロ考え変えないと20万種はなかなかいきません。ある意味、家紋はほとんど意味消失しておりますので、純粋に「演出」として残るだろうと思っています。これを家紋の衰退と見るか、表現性の獲得のチャンスと見るかは人それぞれです。
同じようなものに、印章があります。ハンコ文化も、コピー技術と電子証明などの技術向上で意味消失しました。もはや詐欺手口にされるほどに証明にならず、承認するのもより簡易で確実な方法があります。そのような中、手紙の最後に朱泥で「印」を押す行為はどのように見えるでしょう?どのような「印」がよりふさわしいか、も楽しく考えられそうです。
証明としては役に立たなくなり、意味消失すればするほど、印章に残るのは「演出性」です。つまり、家紋でも印章でも、本来の意味を消失したものに残る「純粋な表現性」は、自己実現性を演出する要素として、現代のニーズに通じ、ブランディング戦略として捉えることもできます。僕はチャンスだと思いますけどね。
とはいえ、卒業設計のテーマとしてはなかなか難しいと思います。「良く分からない」と言いましたが、守るべきルールも多く、やはり家紋に対して保守的な方やシガラミもあります。しかし歴史や伝統性を深く追い求めても答えがなく、最終的にはペラっとした薄い「表現」というところにしか落とし所がないような危険性もあります。
泥沼にはまることは簡単に予想できちゃったりしますが、そうやって生まれたものに期待もしています。楽しんでください。演出性、は楽しいんです。