WRITING 21 Mar 2017


デザインと伝統工芸のアンビバレンス(上)

30代のはじめ日本の歴史の中にある造形やその思想に興味を持ち、伝統工芸のことを知りたくて職人の工房を回っていた頃があった。道のため、と思い多少無理をしても構わないという姿勢で目の前のことに打込んでいた僕に職人から聞いたひとつの言葉が刺さる。どちらの職人から伺ったか失念したが、もしかすると全ての職人から頂いたのかもしれない。

──疲れるまで仕事をするな。

明日に今までに最も良い仕事をするために疲れてはいけない。今日より明日、今より次の瞬間に最も良い仕事をすることを目指す。貪欲に良いものをつくろうとする姿勢がこの言葉には含まれている。

“伝統工芸”は産地全体で、そして歴史の中でこのような姿勢で紡がれてきた産業である。数百人か数千人といった職人が数百年、もしかすると千年以上に渡って使い手から意見を汲み上げ、良いものを制作することを目指す取り組みが今も続けられている。その伝統の中ではあらゆる可能性が模索され、錬磨され、その形は完成している。今残っている伝統工芸の形というのがどれほど優れているのか、その背景にある歴史の巨大な壁の前では畏敬の念を持たざるを得ない。その完成度はそれ自身の分厚い伝統性によって担保される。しかし、次の瞬間には今までよりも良い物を生み出そうとしている。この“完成していると同時に未完である”という両義性は、伝統工芸の大きな特質であると言えよう。
かえって“デザイン”はどうか。20世紀の偉大なデザイナーであるCharles Eamesの言葉を引用すれば『デザインとは、ある目的を最適な方法で達成するためにさまざまな要素を組み立てる計画』と定義付けられる。ここ100年程度で使われ始めたデザインという言葉は、現在では多様な意味を持ち始めたが、de-signの原義は「指し示す」ことだという。どういう形を作るかを図面に起こして示すことを指していたと考えられるが、そもそもモダニズムという理念の中で生まれた行為であり、多分に理念を指し示すことも目的に含まれていよう。
デザイナーは能力と時間の中で、理念に基づき目的を達成するためのあらゆる可能性を検討する。検討し尽くし最適な方法と判断できた時、初めてその計画は形を成す。そして、その「デザインされたもの」はなんらか可能性を広げることは疑いようもない。しかしそのデザインされたものは、多少の変更は行われるにしろ、その時点の理念と理論の結晶であり、揺らぎがない。だからこそ強いとも言えるのだろうけども、“可能性を広げると同時にそこに固定する”ことがde-signという行為には運命付けられている。

この二つの両義性、“完成していると同時に未完である”ことと“可能性を広げると同時にそこに固定する”ことは次元を異にする概念である。矛盾すると言っても良い。これはレヴィ=ストロースが提唱した「ブリコラージュ(野生の思考)」と「エンジニアリング(栽培種の思考)」の関係に近い。デザインは間違いなく「エンジニアリング」である。目的があり、それを適えるために理論を組み立てて製造のための計画を行う。しかし伝統工芸は目的が曖昧なことが多い。たとえば「美味しく水を飲む」ために、現代では土を捏ねたり木に漆を塗ったりすることが合理的だとは考えにくい。もっと他に安く効率の良い、そして科学的に裏付けられた方法がある。
器用仕事とも訳される「ブリコラージュ」は手元にある素材や道具で作る行為とされる。その行為の中で手段が目的となり最終の形は絶えず変化し可能性が展開し続ける。目的と手段は明確でなく、また絶えず入れ替わり、その行為が繰り返されて新しい物が生まれ続ける。いわば“つくること”自体が目的化している行為である。伝統工芸も、もちろん素材や道具は周到に用意されたものではあるが、伝統の中で先人達から受け継ぎ、多くは師や親が使っていたものとして、すぐ手元の産地にあるものとして捉える方が自然ではないか。そう捉えると伝統工芸は極めてブリコラージュ的な“知の行為”と認めるられよう。つまり伝統工芸の目的もまた“つくること”自体にあり、出来上がった作品はたまたまそこにそのような形で生まれたものなのだ。ただし、その伝統性によって恐ろしく完成度が高い状態で。

「ブリコラージュ」と「エンジニアリング」は全くことなる“知の在り方”であり、簡単に組み合わせることは適わない。分かり易い例を挙げると、伝統工芸の世界では「もう少し小さくして100個」といった発注はよくあるが、デザインはこれを許容できるだろうか。理念に基づき導き出した最適な方法を崩すことは、デザインにとっては改悪である。つまり、伝統工芸とデザインの相性は最悪とも言えるだろう。デザインされた伝統工芸で5年10年と売れ続けているものがほとんどないという事実は、この相性の悪さを裏付けることにならないだろうか。

では、デザイナーとして伝統工芸とどう関われるのか。まず「伝統工芸」を冷静に見つめることから始めたい。

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※この文章は2017年1月の京都造形芸術大学の講義『デザインと伝統工芸のアンビバレンス』の前半をまとめたものです。
当日のスライド → https://speakerdeck.com/inuiyosuke/dezain...

デザインと伝統工芸のアンビバレンス
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